5月22日 13:41 車いすで世界一周した三代達也のプロフィール!車いすになった理由は? | 今。。
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車いすで世界一周した三代達也のプロフィール!車いすになった理由は?

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三代達也さんは 車いすで世界一周したことで話題になっています。

この記事では「車いすで世界一周した三代達也のプロフィール!車いすになった理由は?」についてお伝えしていきます。

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車いすで世界一周した三代達也のプロフィール!

車いすで世界一周した三代達也さんのプロフィールです。

 

名前:三代達也(みよ たつや)

生年月日:1988年11月30日

出身地:茨城県日立市

趣味:旅行(主にひとり旅)。海外のクラブ・バー巡り。おじいちゃんおばあちゃんとの会話

活動:車椅子の旅人として全国で講演活動・エイチ・アイ・エスユニバーサルツーリズムのスペシャルサポーターとして国内外に赴き車椅子でも旅行しやすいツアー造成の監修。
2019年7月に光文社より「No Rain, No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周」を出版。
トミーヒルフィガーアダプティブオフィシャルサポーター。旅や車椅子の日常を発信する【Miyo channel】YouTubeチャンネルを運営。ユーチューバー。ブログ発信。

 

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車いすで世界一周した三代達也が車いすになった理由は?

車いすで世界一周した三代達也さんが車いすになった理由は交通事故でした。

2006年12月18歳の頃、交差点で乗用車とバイクで正面衝突で首の骨を折り頸髄を損傷、両手両足に麻痺が残る四肢麻痺(C6B2不全)になってしまいました。

車いすで世界一周した三代達也が事故当時に起きた2つの奇跡とは?

車いすで世界一周した三代達也さんが事故当時に起きた2つの奇跡についてはこちらです。

・事故に遭って、死と生の間にいた時知らないおばあちゃんの声が何度も聞こえたこと。
・事故現場にたまたま仕事帰りの姉が通りかかったこと。

 

三代達也さんが乗用車に跳ね飛ばされて、意識を失いかけた時、知らないおばあちゃんの声が耳元で何度も叫んでくれたそうです。

「あんた、あんた生きてるからね!死んでないからね!」

後で現場にいた人に聞くと、そんなおばあちゃんはいなかったとのこと・・・。

よく死と生の間にいる時に夢で亡くなった方が現れて「こっちに来るな!」と叱って止めたりしてくれるという話も聞きますが、三代達也さんもそうだったのかもしれないですね。

そしてもう1つは三代達也さんのお姉さんがたまたま仕事帰りに事故現場に通りかかり、いやな予感がして近づいたら、弟の三代達也さんだったということです。

お姉さんは、気が動転してもおかしくない状況で、しっかりと三代達也さんの情報を救急隊員さんに伝えてくれ、そのおかげでスムーズにかかりつけの病院に運ばれたのです。

三代達也さんも話されていたように、事故現場にお姉さんがたまたま通りかかっていたというのは、まさに奇跡としかいえないですね。

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三代達也が入院中に起きた奇跡とは!

三代達也さんは入院中に起きた奇跡はこちらです。

・三代達也さんの足が初めて動いたのが、医者でも看護師でもリハビリの先生でもない、お父さんが足をほぐしてくれていた時だったこと。

三代達也さんのお父さんが毎晩仕事帰りに来て、足をほぐしてくれていました。

そして三代達也さんは初めて足が動いたのが、お父さんが毎晩仕事帰りに来て、足をほぐしてくれていた時だったのです。

三代達也さんのお父さんが、足をほぐしている時に、三代達也さんの足に力が入ったのを気付いてくれたのです。

「お前、今足に力入れたか?」

「やっぱり力入ってる!入ってるよ!!よかったな!!!」

三代達也さんの足が動いたのを気づいてくれたのが、看護師さん、リハビリの先生、お医者さんでなく、三代達也さんのお父さんだったという事が、奇跡だと三代達也さんはブログで言っています。

そして三代達也さんもこの事をこう話されています。

「父だったということが、家族の絆による奇跡だと思いました。」

三代達也は奇跡という言葉を使われています。

それは、この後の三代達也さんの人生にも続きますが、三代達也さんの感謝が溢れる気持ちからミラクルが次々に起き始めているように思えます。

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三代達也の家族への感謝の気持ち!

三代達也さんが入院中、両親に当たり散らしていた時に、目を覚まさせてくれるきっかけがあったそうです。

それは三代達也さんのお姉さんの言葉でした。

「お前だけが大変じゃないんだ!こっちだって色々あるんだよ!」

三代達也さんはこのお姉さんの一言でハッとしたそうです。

三代達也さんは今まで自分の不運の事ばかり見ていましたがお姉さんの一言で、家族が自分のために来てくれていることを当たり前だと思うなと言われているような気がしたそうです。

・県外出張が多いお父さんが、毎晩お見舞いにきてくれたこと。
・お母さんは毎日病院に泊まり込んでくれて看病してくれたこと。
・お姉さんが一生治らない障害を負った三代達也さんを始めて怒ってくれたこと。
三代達也さんはそれから家族が自分のためにしてくれていることに感謝が芽生えるようになりました。
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三代達也が看護師に救われた行動とは?

三代達也さんが看護師に救われた行動とはなんだったのでしょうか。

それは、三代達也さんがストレスマックスだった時、話を聞いてもらいたく、夜勤巡回の看護師さんに声をかけ来てもらった時の事だそうです。

看護師さんは嫌な顔せず三代達也さんの怪我の話、将来の話、不安なことや過去の事を話している間、ずっと「うんうん」と優しく頷き話を聞いてくれたそうです。

その三代達也さんに寄り添って聞いてくれた看護師さんの「傾聴」で、三代達也さんの心は晴れ、安心感を得たそうです。

三代達也さんはその看護師さんが、アドバイスをするとかでなく、ただただ頷いて聞いてくれたことに、救われたと話されています。

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三代達也を救った師匠との出会いは?

三代達也さんを救った師匠との出会いはいつだったのでしょうか。

三代達也さんを救ったのはリハビリ施設で同じ部屋だったおじさんだったそうです。

三代達也さんよりずっと重い障害を持っていたおじさんで、三代達也さんが朝食を自分で食堂に食べに行くというルールがあったのに、それをしたくなく、ナースコールで朝ご飯をベットに持ってきてと頼んでいたそうです。

それをみて、おじさんは「お前、甘ったれてんな~」と言いました。

自分よりも重い障害を持ったおじさんが、時間も掛かりながら自分でベットから車いすに乗ってちゃんと食堂に行っていました。

三代達也さんはその言葉が正論すぎてぐうの音も出なかったと話されています。

それからもちくちくとおじさんは三代達也さんに言葉をかけたそうです。

三代達也さんはおじさんの言葉を素直に聞いてその通りにしていたそうです。

そして三代達也さんがおじさんの言葉のいう事を素直に行動していくうちに少しずつ世界が広がり、自信につながっていったようです。

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三代達也の人生に影響した師匠の言葉とは!

三代達也の人生に影響した師匠の言葉とはなんだったのでしょうか。

「お前、電車で帰れよ。」

正月とお盆の帰省をどうするか聞かれた三代達也さんは、親が車で迎えに来るんじゃないですかと答えた時に師匠がかけた言葉です。

当日、東京駅で待ち合わせた両親の前でひょうひょうとした顔で現れた三代達也さんを見て、ご両親は感極まったように涙を浮かべていたそうです。

三代達也さんも、言葉にならないよくわからない感情が包み込んだそうです。

師匠に報告すると師匠は答えました。

「まあ、よかったな。」

「まあ、そういうことなんだよ。」

人に言われてやったこととはいえ、自分が行動したことによって誰かが喜んだことにすごく心に残ったそうです。

それから師匠に対する見え方が変わり、「この人の言うことは僕を少なからず成長へと導いてくれる」と思い、そこでいろんな話を聞くようになったそうです。

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「本当にそれでいいのか。お前の人生これからなんだぞ。若いんだし色んなことにチャレンジしてみろよ」

三代達也さんが退院して実家でのほほんと暮らしていこうと思っていると答えた時の師匠の言葉です。

そして、なにをチャレンジしていいかわからないと答えると師匠は次の選択肢を与えてくれたそうです。

「よし、東京に来い。東京で一人暮らししろ。」

三代達也さんは、無理だなと思ったそうですが、師匠は言いました。

「そこがバリアフリーじゃなかったとしてもうちが全部改修してお前が暮らせるようにしといてやる。」

そして、三代達也さん一人暮らしが始めました。

そこからバスケの人づてで在宅で事務仕事を始めることが出来ましたが、ずっと家にこもる状態で、疑問に思い、在宅から通勤にしたいと要望し、試みで、通勤することになりました。

その努力が認められ、正式に通勤になり、師匠に報告します。

「おぅ、いいね」の一言でしたが、三代達也さんは師匠に認められたような気がして、とてもうれしかったそうです。

270日間の世界一周一人旅について師匠に話すと

「30歳ってのはな、人に気を使われ始める年齢なんだ」

「今まで10代20代の時はさ、周りの大人がお前にいろんなこと言ってくれたろ。『お前違うよ、それびゃだめだよって。だけど30代になるといろんなことにお前に気を使ってくるんだよ『みよさんすばらしいですね』『みよさんすごいですね』なんて言われるぞ。」

「絶対に奢るなよ」

三代達也さんが世界一周を果たした後、大手の新聞社取材を受けて、新聞の一面の記事に掲載されるとWebメディアの取材も受けるようになり、自信のブログも何万PVになっていきテレビや学校の関係者から反響があり、出演依頼を受けるようになったそうです。

三代達也さんは称賛されてすごく気持ちよく、その時師匠の言葉を思い出しハッとしたそうです。

師匠の一言が頭に残っていたから調子に乗って天狗にならずに謙虚でいられたと話されています。

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「今のお前はお笑い芸人で言う一発屋なんだ」

三代達也さんは一年に一回程師匠に電話で連絡をとっているそうです。

その時に師匠に「お前今どうやって食ってんだ?」と聞かれ講演会やメディアに出演や執筆して食べてますと答えた時に言われた言葉だそうです。

今は世界一周っていうものを引っさげて今物珍しいからいろんなとこによばれているだけなんだ。

お前それだけじゃ長続きしない。

お笑い芸人だって本当に生き残ってる人はちゃんとMCの研究をしたりとか努力した結果生き残ってるんだ。

だからお前も旅を仕事にしてしていくんだったら勉強を怠ったりしてはいけないぞ。」

 

「俺はお前に芸術家として生きてもらいたいんだ」

三代達也さんに師匠からの言葉です。

「俺はお前に芸術家として生きてもらいたいんだ。お前が今まで培ってきたその経験をもとにゼロから何かを作り出して、そのモノで人を喜ばせたりとか感動させたりとか、そういう風なことができる人間になてもらいたいんだ。」

三代達也さんは、その師匠の言葉で今また挑戦し続けています。

・講演会で自分を伝える。
・ものを書いて自分を伝える。
・動画で想いを伝える。

三代達也さんは世界一周を終え、現在もブログ、ユーチューバー、執筆活動、講演会、車椅子でも旅行しやすいツアー造成の監修など様々な活動をされています。

車いすで世界一周した三代達也のプロフィール!車いすになった理由は?

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三代達也が師匠の言葉で得た事とは!

三代達也さんが師匠の言葉で得た事とは何かをYouTubeで話されていました。

色んな人の目に移った時にもしかしたらそのどこかにご縁が繋がってるかもしれない。

仕様に出会えなかったらそんな考えに至ることもなかったろうなと思います

チャンスは足元にいくらでも落ちてんだ。でもそれに気づけるかお前次第なんだ。」

師匠が教えてくれたのは、挑戦と行動すること。

逃げようと思えばいくらでも逃げられる環境だった。でもあえて師匠の言葉に従って行動したことで最高に楽しいと思える今に繋がっているんだ。

だから挑戦をするってことは僕にとって一番のキーワードだったのかなって思います。

 

三代達也さんYouTubeより

 

三代達也さんは帰国後お金を貯めてから28歳勤めていた会社を辞め、世界一周一人旅を決意します。

そして、270日間で、23カ国42都市以上を回り、世界一周達成しました。

旅の途中でアテネで出会い、助けてくれたオジさんに言われたそうです。

俺たちは宇宙生まれの宇宙育ち。そんな世界で、性別や年齢、障害なんて関係ない。俺は今日時間があって、体が動いて、君を助けることができた。そんな1日を与えてくれてありがとう。

三代達也さんはこの言葉をもらった時に、気づきを得たそうです。

「あれ、感謝されてる。障害ってなんだっけ」

「障害を抱える事で助けてもらうことは=迷惑という事は、被害妄想だったんだ」

「自分は自分で居て良いんだ」

三代達也さんが世界一周の出会いから学んだことです。

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まとめ

この記事では「車いすで世界一周した三代達也のプロフィール!車いすになった理由は?」についてお伝えしていきました。

三代達也さんにとって師匠との出会いは、三代達也さんの人生観を大きく変えてくれました。

そして三代達也さんの周りには奇跡と感謝でいっぱいの人生が連鎖していきました。

でもそれは、三代達也さんが素直に師匠の言葉を聞いて行動し挑戦したたからですね。

三代達也さんを知って、ますます応援していきたいと、思いました。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。

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