たつき諒先生が、2025年7月5日に大震災が起こるという予言をされていたことが話題になっています。
たつき諒先生が1999年に書かれた漫画の表紙に「大震災は2011年3月」と書かれており、それを読んでいた読者が予言的中に驚いて「幻の予言漫画」として当時かなり騒がれました。
ここでは「たつき諒予言一覧と予知夢検証結果は!次々本当に起こり話題に!」についてお伝えしたいと思います。
この記事でわかること
・たつき諒その他の予言一覧は!
・たつき諒どんな人か?
・たつき諒プロフィール!
・たつき諒漫画で予言を描いていた!
・たつき諒引退後の職業は!
・たつき諒先生の1999年初版の「私が見た未来」が12万円超え!?
たつき諒の予知夢一覧と検証結果は!
たつき諒先生の予知夢一覧と検証結果はどうなのかをまとめました。
たつき諒先生著作の「私が見た未来」は1999年7月1日初版されました。
たつき諒先生の予知夢には震災は5・10・15で起きる年数、日数がわかるそうです。(例:15日後、5年後・10年後・15年後等5の倍数)
そして予知夢を見る日付とその事実を知る日付が一致していることに気が付かれたそうです。
たつき諒先生は次々に予知夢で予言したことが起こり、話題になっています。
たつき諒の予言・1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の予知夢
たつき諒先生の予言で「1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災」の予知夢の内容です。
1992年1月2日に「15日後か15年後に神戸にひび割れた大地の映像と文字」の夢をみています。
その15日後の1995年1月17日に地震が発生しています。
日付が15日後という数字で一致していました。
ただ、たつき諒さんが出版されたのは1999年で、阪神淡路大震災後の事ですので検証はできません。
たつき諒の予言・2004年12月26日のスマトラ島沖地震の予知夢
たつき諒の予言で2004年12月26日のスマトラ島沖地震の予知夢の内容です。
たつき諒先生が2001年12月25日に宇宙から見た地球の姿です。
そこにはインドネシアから微弱電波のように波動が広がっていく夢でした。
その3年後の2004年12月26日にスマトラ島沖地震が発生しています。
そしてインドネシアの真裏のアメリカの近くでも波動が広がっていました。
スマトラ島沖地震から半年後、アメリカ南部を襲った大型ハリケーン、カトリーナが発生したのです。
たつき諒先生が描いたアメリカ近くの波動の位置と、大型ハリケーンが発生した位置が同じだったのです。
1日違いではありますが、とても衝撃的な予知夢です。
たつき諒の予言・2011年3月11日に起きた東日本大震災の予知夢
たつき諒先生の予言で「2011年3月11日に起きた東日本大震災」の予知夢の内容です。
1996年3月11日に「大震災は2011年3月東日本でのどこか」という文字のイメージと自分が顔を怪我する予知夢を見たと紹介されています。
その大震災の夢を見て15年後に実際にマグニチュード8.8の大地震が起きました。
震度7で多くの死者が出てしまうという大災害。
15年後の15という数字と3月11日という日付が一致していました。
このようにたつき諒先生は夢を見るとその15日後か15年後に実際に夢が現実になるみたいです。
たつき諒の予言・Queenのフレディ・マーキュリーが流行病により亡くなる予知夢
たつき諒先生の予言で「Queenのフレディ・マーキュリーさんが流行病により亡くなる」予知夢の内容です。
1976年11月にQueenのフレディ・マーキュリーさんが流行病で亡くなったというニュースを友達と一緒に見ていた夢をみています。
そしてまた1986年11月28日にQueenのフレディ・マーキュリーさんの映画のメイキングシーンをみています。
その内容はQueenのフレディ・マーキュリーさんの映画の撮影に立ち会ったところ、そこにはフレディ・マーキュリーさんはいなかったのです。
そして、そこにQUEENのメンバーの銅像でてきて、なぜかフレディ・マーキュリーのものだけがなかったというものだったそうです。
4つの銅像のうち3つはQueenのメンバーの銅像でしたが、もう1つは知らない人物です。(Queenに新しいボーカルのアダムランバードさんが加入しています。)
そして1番左側に、明らかに銅像があったのに、外されたようなスペースがあったといいます。
この1番左側のスペースはフレディ・マーキュリーの銅像が外されたということでしょうか。
1976年の15年後と1986年の5年後の1991年11月24日にQueenのフレディ・マーキュリーさんはエイズによる肺炎が原因で亡くなりました。
1976年の15年後、そして1986年の5年後と、そして11月という月が一致していました。
ちなみにたつき諒さんは新しいボーカルが加入したことを知りませんでした。
あの知らない人物の銅像は、新しいボーカルのものだったのかもしれませんね。
たつき諒の予言・ダイアナ妃が亡くなる予知夢
たつき諒先生の予言で「ダイアナ妃が亡くなる」予知夢の内容です。
たつき諒先生は1992年8月31日に「ダイアナ妃が?んだ」というイメージの夢をみています。
その5年後1997年8月31日にダイアナ妃は亡くなりました。
1992年の5年後という数字と、8月31日と日付も一致していました。
たつき諒の予言・尾崎豊が亡くなる予知夢
たつき諒先生の予言で「尾崎豊さんがなくなる」予知夢の内容です。
1982年4月25日に尾崎豊さんが亡くなる夢をみています。
この時尾崎豊さんはまだデビューしていませんでした。
その10年後、1992年4月25日に尾崎豊さんは亡くなりました。
1982年の10年後と、4月25日の日付も一致していました。
たつき諒の予言・ウイルスの予知夢
たつき諒先生の予言で「ウイルス」の予知夢の内容です。
1995年「15年後の2020年4月をピークに10年後にまた現れるが死者が出る重病とはならない」と夢を見ました。
2020年4月は”コロナウイルス”が世界中に広がり、緊急事態宣言が出されるという今までにない措置で大混乱になりましたね。
私たちが一番印象に残っている年月だといえますね。
これも1995年の25年後で5の倍数で一致していました。
たつき諒のその他の予言一覧は!
たつき諒先生のその他の予言一覧はこちらです。
たつき諒の予言・赤ちゃん人質事件の予知夢
たつき諒先生の予言で「赤ちゃん人質事件」の予知夢の内容です。
1995年10月にかわいい赤ちゃんの顔の夢を見ています。
その2か月後の1995年12月に赤ちゃん人質強盗立てこもり事件が発生しています。
この時の赤ちゃんが、夢で見た赤ちゃんの顔とそっくりでした。
たつき諒の予言・友達の彼の予知夢
たつき諒先生の予言で「友達の彼」が出てきた予知夢の内容です。
夢の中で男の人が、「彼女の事、嫌いじゃないんだけど、恋愛感情持てないんだよね。」と、たつき諒先生に語っている夢をみました。
その後、実際に友達が、好きな人に告白したら振られたと話し、写真を見せてくれました。
その写真の男の人が、夢で見た、あの男の人でした。
たつき諒先生が友達に「もしかして、嫌いじゃないんだけど恋愛感情持てないって言われた?」と尋ねると、友達は「何で知ってるの?もしかして、知合い?」と驚きます。
たつき諒先生はその男の人に実際にあったことはありませんでした。
たつき諒の予言・田舎の風景の予知夢
たつき諒先生の予言で「田舎の風景の予知夢」の内容です。
たつき諒先生は1993年9月14日に見た「田舎の風景」で道がY字路で、道端にはたくさんのビワが実っていました。
そのビワを家族で歩きながら食べている夢でした。
その1年後の1994年9月14日、叔父の葬儀のため家族で山形県へ向かいました。
叔父の自宅へ歩いていく道中、あの、夢で見た光景が広がっていました。
気になり、写真を撮ると、夢日記に描いた絵とそっくりだったといいます。
ただ、実っていたのはビワではなくブドウだったという違いはありましたが、家族と一緒に歩いたという設定、そして9月14日と同じ月日だったのです。
たつき諒の見た夢・私の葬式の予知夢
たつき諒先生の予言で「私の葬式」の予知夢の内容です。
たつき諒先生は1995年11月26日に「7月15日、私の葬式」という夢を見ています。
2022年現在、たつき諒先生はお元気です。
この夢は、「マンガ家としてのたつき諒」の死、つまり引退という事を予言しているのではと推測する声もあります。
たつき諒の見た夢・天使から5年後に迎えに来ると言われた予知夢」
たつき諒先生の予言で「天使から5年後に迎えに来ると言われた」ないようです。
たつき諒先生は1995年1月2日にたつき諒先生と天使がいて、たつき諒先生が天使に「連れてって」とお願いしました。
すると天使は「5年後迎えに来る」とたつき諒先生に話したという予知夢を見ています。
たつき諒先生はその予知夢を見た5年後の2000年、漫画家を引退しています。
予知夢の中の天使がたつき諒先生を迎えに来るといった意味は、5年後の2000年が漫画家たつき諒としての引退を予知したのでしょうか。
たつき諒の予言・見たことのない場所や会ったことのない人が現実に現れる
たつき諒先生の予言で見たことのない場所や会ったことのない人が現実に現れるという印象的な夢をみるようになりました。
たつき諒先生は夢で見た場所が、後から実際にその場所に初めて行くのに、夢で見た場所という事が度々ありました。
見たことのない場所なのに鮮明な写真みたいにはっきり見えてたりして、会ったこともない人なのにやたら顔をはっきり覚えていたりとか
31歳になる頃には夢で印象的な夢を「夢日記」として、朝起きたらすぐに書くという習慣が出来たといいます。
その夢日記の内容がのちにつぎつぎに現実に起こっていくのです。
たつき諒先生が見る印象的な夢は月に数回みる印象的な夢のうち1割が現実のものとなっているようです。
たつき諒の予言2025年7月5日に南海トラフ大地震が発生?
たつき諒先生の予言で「2025年7月5日に南海トラフ大地震が発生」という予知夢があります。
この予知夢はあの1999年に見た東日本大震災の予知夢で的中した、映画のような白いスクリーンに「大災害は2011年3月」と黒い文字が浮かび上がった夢と同じく重要性を秘めた夢だそうです。
映画のような白いスクリーンに「大災難は2025年7月」と黒い文字がブワっと浮かび上がりました。
さらに空の上から見た世界、突然日本とフィリピンの中間あたりの海底が破裂。
香港や台湾、フィリピンまでもが大陸と地続きになるイメージのような夢。
とてもメッセージ性が強く、「描かなきゃ、描いた方がいい、描かなきゃ」という使命感があったそうです。
そして、再販の、『私が見た未来完全版』で新たに描き加らられています。
その書跡はこちらです。気になる方はこちらからどうぞ↓
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たつき諒はどんな人?
たつき諒先生はどんな人なのでしょうか。
たつき諒先生はご自身で飽きっぽい性格といわれています。
中学生1年生の頃に歌手に憧れ、歌謡アカデミーに通いましたが先生に「裏声が綺麗」だと褒められたのが嫌で3か月で辞めています。
中学2年生でタレントになろうと、東京宝映タレント芸術学校へ入学しましたが、周りの生徒たちの熱い情熱に圧倒されて3か月で退学されました。
フィギアスケート教室にも一時期入ったようですが、すぐにやめられたそうです。
17歳の時に交通事故にあい、足が悪くなり、将来の事を真剣に考えたようです。
たつき諒先生は座ったままできる仕事、そして有名になれる仕事はないか考え、DJ、画家、イラストレーター等頭を巡らせましたが、ふと兄が買った漫画家入門の本に出会い、これだと思ったそうです。
そこから漫画家になるために、漫画を読みまくり、研究され、絵の練習をするといった生活をおくっていたそうです。
予知夢を見られるということで、霊感があると思われそうですが、本人曰く霊感はないそうです。
しかしたつき諒先生はスピリチュアル系の方々と縁があるようで、前世をみてもらったことがあるそうです。
その鑑定内容が前世はサイババと親子だったと言われ、しかも手相の運命線も一緒だったことに何か縁があると感じます。
実際にたつき諒先生もサイババを夢で会ったりしていて、それを確かめたい理由でサイババに会いにインドに行かれ、それから予知夢を見る能力がが開花したようです。
漫画に描かれた内容は、たつき諒先生が自分で見た予知夢をもとにしているそうです。
たつき諒プロフィール!
たつき諒先生の気になるプロフィールです。
ペンネーム:たつき諒・竜樹諒
性別:女性
出身地:神奈川県横浜市
生年月日:1954年12月2日
年齢:68歳(2022年12月月現在)
血液型:O型
趣味:旅行
高校:横浜商業高等学校
職業:漫画家(1999年引退)
デビュー:1975年「月刊プリンス」(秋田書店)
著書:「人形物語」「時の中の少女」「水色の航空書簡」等
1999年『私が見た未来』(表紙に”大災害は2011年7月”)と書かれていたことから東日本大震災を大予言した漫画家と注目を浴び、復刻版が再販されベストセラーとなる。
1999年に書かれた漫画を引退され、現在67歳(2022.4月現在)執筆活動はされていないようですね。
たつき諒先生は漫画家として1975年に『亀樹諒」というペンネームでデビューされています。
インドに行かれサイババに会い、そこで覚醒をし予知夢を見るようになったようです。
インドに行った理由は、夢で何度かサイババに会ったことがあり、またサイババと同じ運命線の手相をしていたこともあって、サイババに会って何かわかるかもしれないと、確かめたいという思いからだそうです。
たつき諒先生は前世でサイババの娘だったと確信したようです。
(たつき諒先生が前世を夢で見て、すべてわかったようです。)
1999年に出版したのを最後にたつき諒先生は引退されました。
たつき諒先生は、現在67歳(2022.4月現在)で、今は執筆活動はされていないようです。
たつき諒漫画で大震災の予言を書いていた!
たつき諒先生が漫画で大震災を予言されていますが、どんな内容なのか調査しました。
1999年に出版された漫画本「私が見た未来」の完全版2022年刊行の中で追加された、予知夢による予言がされています。
2021年7月5日にたつき諒先生がインドへ行かれ、サイババに会いにいってから2025年7月の大災害の予知夢をみたそうです。
その内容は2025年7月5日午前5時頃に巨大な津波が起きるというものでした。
フィリピン沖で大きな爆発が起こり、環太平洋諸国に巨大津波が襲い掛かるというものです。
東日本大震災の津波の3倍はある巨大津波が来るという予言をされています。
ここまで読むと不安になってしまいますね。
でも、この続きがありました。
人々はこの巨大津波に備えていて、被災後もすぐに復興がされるようになり、元気にやっているというものでした。
大災害の予言だけでなく、その後の人々の生活の様子も予言されていたということで、不安だけ煽るようなものではないのがいいですね。
たつき諒先生は、決して書籍の宣伝の為でなく、このことを多くの人々が知ることで、被害を最小限にとどめられたら、と願っています。
そして、その願いが私たちに届く様に、再販の時に2021年7月25日に見た夢の内容を付け加えたのです。
たつき諒の引退後の職業は?
たつき諒先生は1999年に執筆した「私が見た未来」を最後に引退しています。
引退後の職業は、コンピューターグラフィック、医療事務、住民環境福祉コーディネーター、建築関連等、様々な職種についていました。
たつき諒先生は、アナログで、携帯電話もガラケーでした。
そのため、たつき諒先生の、「私が見た未来」の本が世間で話題になっていたこともしばらく知らなかったそうです。
親戚の姪から聞かされて、そこで初めて自分の漫画本が話題になっていることを知り、とても驚いたそうです。
それから22年を経て復刻版を出版することになりました。
たつき諒の初版の値段は12万円超え!
たつき諒先生の1999年初版の「私が見た未来」は絶版となっていて現在12万円超えとなっています。
たつき諒先生の執筆された本が12万円超えしたのにはきっかけがありました。
テレビ番組の”Mr.都市伝説”で関暁夫さんが「東日本大震災を予言したすごい漫画がある」とテレビ番組で紹介したのがきっかけのようです。
その後、たつき諒先生の本を求める視聴者が殺到し、復刻版が実現したといいます。
まとめ
この記事では「たつき諒予言一覧と予知夢検証結果は!次々本当に起こり話題に!」についてお伝えしていきました。
たつき諒先生が見た予知夢が本当にに次々と実際に起きていたことは驚きと衝撃でしたね。
後2年後の予言で2025年7月5日午前5時頃に大災害が起きるという予知夢の内容は、詳細で、時間まで予知されたということでどうなるのか、注目が集まっているようです。
たつき諒先生がこれまで予知夢を的中されてきたことを考えると、信憑性も高まりますが、これだけは当たってほしくないと願うばかりです。
たつき諒先生も話されていますが、2025年7月5日に大災害が起きるかもしれないという夢を再販の書籍に書き加えたのは、決して、不安をあおるためのものではないということです。
このことを多くの人達が知って、備えをすることで、被害が最小限にとどまれば、という願いなのです。
たつき諒先生の発信を無駄にしないためにも、何があっても慌てないで行動できるように心にとめておきたいと思いました。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。
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